~新説・大月桃太郎伝説~
連休の忙しさも一息ついたところで、たまにはラフティングと離れたことでも書こうと思います。
今回取り上げてみたいのは「桃太郎」。
桃から産まれた奇特な少年が、お供に何故か犬と猿と鳥を連れて鬼を退治しに行くという日本人なら誰もが知っているあれです。
桃太郎伝説は元々日本各地で語られているようで、中には桃太郎は実は女の子だった、など語られる地域によって諸説あるようです。
そんな桃太郎伝説、もちろん有名なのは岡山県ですが、
実はここ大月にも桃太郎伝説は伝わっているんです。
概要は以下の通りです。
上野原の川で洗濯をしていたお婆さんは流れてきた大きな桃を拾った。 家へ持ちかえって割ってみると、中から男の子が出てきたので桃太郎と名づけた。
この伝承の由来になっているのは地図で見てわかるとおり、桃、犬、猿、鳥と言った地名。
お婆さんが住んでいた地域は棡原と呼ばれる長寿の里として有名だ。
そしてこの岩殿の鬼はもともと大月市と都留市の境目に位置する九鬼山から流れてきた一匹とされている。
地元の人間がこの大月桃太郎説を信じているのには、理由がある。
それは、実際に伝承の元となっている物を現在も見ることができるという点だ。
伝承の中の鬼と桃太郎の戦いの描写で「岩殿山に住む鬼は桃太郎の出現に驚いて左手に持っていた石杖を投げつけた。石杖は地面に刺さり大地が大きく揺れた。そしてこの地域を石動と呼ぶようになった」とある。
石動という地域は実在するし、実際に石動の中心部には不自然な2m弱の石杖が岩殿山を向くような形で突き刺さっている。 (鬼の石杖)
鬼は戦いのさなかに右手に持っていた石杖も投げているがこれも桃太郎に躱され、笹子という地域に突き刺さったとされる。
笹子は岩殿山から9Kmほど離れた場所にあり、食べると力が沸いてくる力餅として有名な笹子団子の産地でもある。実際そこに行ってみると石動の石杖と似た物が突き刺さっている所を確認することができる。(立石坂の立石)
その他にも桃太郎に切りつけられた鬼の血が染み込んだとされる岩壁など
(こちらは老朽化に伴い2003年に取り壊され、今は見ることができないが)
このようにこの地域の各地で鬼と桃太郎の戦いの跡とされる場所が今も見ることができるのも他の説では見ることのできない大月桃太郎説独自の魅力ではないだろうか。
蛇足だが、桃太郎が猿をお供に入れた猿橋という橋は7世紀に猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたと云う伝説がある。石杖が1000年以上前から石動に刺さっていたという説もあり、時期も重なるのは興味深い。
猿橋が架かっている場所は深い渓谷になっていて、当時の人間が向こう岸に渡るのは至難の業であったはずである。猿達が対岸に渡した人物とは誰だったのか?(参考文献によると猿のグループのリーダーとされている)と想像してみてもとても面白い考察ができるのではないだろうか。
最後に、お婆さんが桃を拾ったとされる川の上流には、桃の生産量日本一の笛吹市が位置しているのである。 信じるか信じないかは、貴方次第ですが。
※写真は小やじさんの「小やじ健気愉快」より。(http://homepage3.nifty.com/koyaji/index.htm)
俺は信じる~~~
これ、子供達にも伝えて行きたいよねww
昨日、説明会でラフティングのプロモ動画かなり好評だったよ~~参加人数が定員に達してなくて困ったけど…
なんとか打開できそうww小学校5・6年生で、伸長140cmはなかなか難しいらしい(T▽T;)
しらんかった~
勉強になります!!
>ししまるさん
どんどん子供達に話してやってください(^o^)プロモめっちゃ良かったです!!
参加者集めお疲れ様です!確かにちっさい子はちっさいっすからねぇ~
>YASUさん
今はどうか知らないけど地元の子達は断固、大月桃太郎派でしたね~。浸透してないのは大月市のPR不足でしょうか。
鬼の石杖も畑みたいなところにでーんと刺さってるだけですし。奉れよ!っていう。